ブラック企業社長の濱野物語~第一章、幼少期から中学生~

はひふへほー バイキンマンを崇拝するブラック企業社長の濱野です。

1980年6月24日生まれです。 濱野家の長男に生れまして可愛い可愛いと大事に育てられました。

幼少期から小学生

親が怖かったのを覚えております。
食べ物を残したらすぐにビンタ。
親戚がいる場なら大丈夫だろうと思っても、残すと容赦なくビンタが飛んで参りました。

僕が5歳の時に待望の弟ができまして、普段は怖いお母さんも大きいお腹を抱えてウンショ!ウンショとしんどそうに生活しておりました。

理由は覚えておりませんが母親から怒られたある日、この時ばかりは大丈夫だろうと思い、僕はその場を走って逃げ出しました。
するとどうでしょう。
僕の母親は大きいお腹を抱えてダッシュで追いかけてきました。

「ひぇー」と逃げる僕を捕まえて踏みつけて「舐めんじゃねーよ」と成敗されました。

そんな親の元で育ったので、タバコを吸う事も万引きをする事も一度もなく良い子に素直に育って行きました。

小学生時代は生まれ持った目立ちたがり屋からなのか、運動会で応援団の練習をする上級生の目を盗んで、太鼓を鳴らしまくったり、台の上で応援団長の真似事をして大きな声でフレーフレーって言っておりました。

国語の授業では、めいいっぱい気持ちを込めて朗読をしていたので「濱野くんは朗読が上手だねぇ」と先生に褒められた事をいいことに気がつけば「役者になりたい」と思うようになります。

が、中学は演劇部ではなくスラムダンクブームにハマりましてバスケ部に入ります。

中学の思春期で大人の汚さを知る

部活大好き人間の僕に”モテ期”が到来いたします。小学生まではスポーツもそんなにできる部類ではなく、ただ単のお調子者です。
ちびまる子ちゃんにでてくる”はまじ”と”山田くん”を足して2で割った感じです。

しかし、入部前から近所の一個上の先輩にバスケを教わっていたので、フライング練習をしていた僕は中学のバスケ部に入った瞬間にスポーツできる人間に分類されておりました。
僕の地域にミニバスがなかった事も幸いして、学年でバスケ部で1、2を争ううまさだと噂されるのです。

バスケは面白い。みんなになんか好かれてる。先生も可愛がってくれる。バラ色の中学生ライフでした。

僕の人生の中に猛烈に泣いた時期が2度ありまして、その1度目が訪れます。

中学1年生の夏休み明けくらいでしょうか。
学年で目立っていた僕に生徒会にならないかと先生から誘われます。
「部活の時間が減るのは嫌です」と即答で断ったのですが、「週に2回20分くらい部活に遅れるだけだ。良い経験だからやってみないか?」と言われたので、「なら、やります!」と答えました。
我ながら素直な良い生徒だと思います。

早速、部活の顧問に報告にいきました。
「生徒会になりました!」すると顧問は「え?お前、生徒会なんかやるの?部活に半分以上でれなくなるぞ」と聞かされます。
「え?週2で一回20分くらいだって言ってましたよ」と答えるも顧問の先生は「そんな事はない」というので、翌日、職員室に「話が違うので生徒会にはなりません」と伝えると先生からは驚きの答えが返ってきました。

「もう決まったから無理だ」

今なら「おいおい!先生よ~?。クリーングオフを授業で教えておいて、それはないんじゃないの?」とクレームを入れられるのですが、大人の言う事は絶対という素直な自分は、職員室でガン泣きです。

先生が「他にいないし」というので、「僕が他の人を連れてきたら辞めてもいいですか?」と聞くと「わかった」と先生は答えるわけですね。

部活に出れないとクラスで嘆いていると「私が生徒会に代わりになってあげるよ」と、小学からの同級生の女の子が言ってくれるではありませんか!

早速喜んで職員室へ

僕「代わりの人が見つかりました!」

先生「1年生の生徒会は4人で濱野をいれて男子が2人なんだ、その子にかわると男子が1人で可愛そうだから無理だ」

みたいな感じでなりまして、、、 わたくし再びガン泣きです。

ここから1年間、生徒会をサボることもなく、部活には半分以上もでられない日々が続くわけです。
「自分の仕事が早く終わったら部活にでて良い」と生徒会担当の先生が言ってくれたので、頑張って家で終わらせてきます。
すると先生は「家で仕事を早く終わらしても、他の人が終わってないんだから手伝ってやれよ。な?」みたいな感じです。
他の生徒会メンバーはみんな文化部なので、部活を特にやりたいわけでもなく生徒会室でキャッキャ楽しんでる訳です。

それを他の人のも手伝えってね。。。

今思えばかなりサイコパスな先生ですね。

「いかに生徒会の仕事を家に持ち帰って終わらせて部活に出るか」
「大人が約束を守らならない。いい加減。」

この2点を強く思い生徒会時代を歩んでいきます。
信じて疑わなかった大人の言うことを真っ先に疑うようになっていきました。

バスケはチームワークのスポーツです。仲間との練習時間がガッツリ減ります。
部活後も一人で練習しても、連携の練習はできないのでミスがでる。

学年でバスケ部で1、2を争ううまさだという噂はいつしかなくなって行きました。

チームメイトがどんどん上手くなるのを横に毎週2,3回は泣いてました。

「先生、バスケがしたいです。」

こうやって素直で良い子ちゃんだった僕の性格は捻じ曲がっていきます。


マジで三井の気持ちが一番わかる中学生だったと思います。今思い出しても泣けてくる中学時代です。

大人は汚い事件その2


※小学生の卒業式。まだまだ大人を信じる良い子でした。

先生だけじゃなく親のいう事も信じちゃダメだなと思ったのはこの時期ですね。
こんな事件がありました。

中2の時にお小遣いで始めてCDを買いました。
福山雅治さんの「HELLO」です。そのCDジャケットをみた父親が「ん?どれどれ? ヒーロー?」と読みます。僕は「え?それハローじゃないの?」と言うと母親が
「アンタ、バカじゃないの!!ハローとヒーローがわからないなんて何のために学校行ってんのよ!」と怒られます。

次の日クラスに「福山雅治のヒーロー買ったぜー」って自慢したら、まあバカにされる訳ですね。

もちろん家に帰って親に怒ります。
「やっぱりハローだったんじゃないか!」すかさず母親はこう答えます。

「そんな間違いに気がつかないアンタが悪いのよ!!」

親の言う事もいい加減なんだなと、また一つ大人の階段を登った瞬間です。

こうやって僕の人格形成の土台は出来上がってきたのでした。

次回はの濱野物語は「高校 → 大学 → 役者 → 起業」


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濱野 秀昭
株式会社セブンコード 代表取締役 エアコンが苦手。弱冷房で死にかけた