ブラック企業社長の濱野物語~第二章、暗黒時代~

はひふへほ~ バイキンマンを崇拝するブラック企業社長の濱野です。

前回の続きです。 生まれから人生で2度猛烈に泣いた1度目

ブラック企業社長の濱野物語~第一章、幼少期から中学生~

男子校にはどうしても行きたくなかった僕は、受験中にわからない問題があって怖さと冬の寒さでガタガタ震えた事を覚えております。
思い返すと、まだまだ人格形成が不安定なこの年齢は出会いと環境で本当に大きく変わる気がします。

ダークサイドに落ちる高校時代

ボチボチ勢いがあった中学時代から高校生に突入。
空気読めない僕は、どんどん日の当たらない道へと向かっていきます。

その決定的な思い出がございます。

飲酒とセクハラ事件

大好きだったバスケは高校で辞めてバイトをするようになります。
役者になりたかった自分は色々な経験をしたかったので、アルバイトをしたかったのです。

そんな中、僕の高校の中でほぼ帰宅部という、ゆる~い水泳部に入ります。 
友達もいて、プールにも入れて一石二鳥じゃないかという、まさに自分にピッタリの部活。

7月の夏場の暑い日なんか、プールに浸かって、ずーっとしゃべって「さみ!!」ってなって、部活を終えます。
25mプールを一往復も泳がないのはアレなのでと変える前に1往復して帰るという部活w

今思うと、このプールの水と循環で夏場だけで数百万単位するみたいですね。
10人ちょっとのこのゆるい部活にこの費用。。。
プールあるのに高校はプールの授業がないのです。
まさに税金の無駄を象徴した部活だったのですね。

さて、こんな部活でも合宿は存在いたします。
高校一年生の夏に熱海らへんに合宿に行きました。
夜はですね。やっぱり羽目を外してお酒を飲むわけです(゚∀゚)

人生初めて飲むお酒。よく分からずに、持ち前のノリでビールやら日本酒やらをグイグイ飲むわけです。
その翌日。酔っ払ってな~んも覚えてない僕に友達から色々報告を受けます。

「昨日の濱野ヤバかったぞ。」

「Nちゃんに謝っておいた方がいいよ」

と、ですね。色々聞くわけで、その言うとおりにしてNちゃんにごめんと謝ったわけです。

このNちゃん。学年でもピカイチかわいくて、上級生やら、なんなら隣の高校からもNちゃんを教室まで見に来るというレベルのかわいい子なんです。
しかも、僕と中学も同じだったんです。

中学時代はあんまり話をしたことなくて、高校になって同じ部活になり話もするようになり、帰りも同じ方向という青春ハイスクールの輝かしい1ページ目を飾っていたのです。

が!!

ここで僕はセクハラ問題を起こしてしまっているわけです。

飲みまくって我を忘れている僕はNちゃんの足を触りまくっていたと。。。(TT)

輝かしい青春ハイスクール物語が一転してダークサイドハイスクールへと堕ちていくわけです。 
ダースベイダーですら3部作で堕ちていくのに、僕は一夜にして堕ちていきました。
お酒って怖いですね。

まあ、そんなこんなでですね。

以後、僕が飲み会やら打ち上げにいるとNちゃんは来ないという事で、僕が部活の遊びの誘いに呼ばれなくなるのです。
さらにNちゃんと友達で、帰り道が同じのYちゃん。
Yちゃんは僕と小学校も中学校も高校も同じなのですがYちゃんに何もしてないのに、この件で何故か嫌われる始末。

女子ってそういう生き物よね。

逆境のおかげ?で勉強に打ち込む高校生活

ここをキッカケに、持ち前の空気の読めなさが加わって、どんどんダークオーラに磨きがかかります。
今となってはセクハラキャラに磨きをかけてNちゃんが参加する飲み会に乱入して何か面白いことをして、許してもらうという力技もあるかと思いますが、まあ、ずーっと申し訳無さで落ち込んでいるわけです。

高校生で遊んだ記憶は、友達の家で麻雀しか僕の思い出はございません。

おかげで誘惑がないので、勉強するには持ってこいの環境が揃いました。
大学受験はしたくないので、指定校推薦を狙いコツコツとテスト勉強に励みます。

本当は大学も行きたくなくて役者を目指したかったのです。
でも親の「大学に行けるのと行けないは違う。進学校に行ってるし勉強も役に立つわけだから、ちゃんと勉強もしなさいよ」と言われ、
それもそうかと思いまして、何の疑いもなく良い成績を取るために勉強をしておりました。

テスト休みにココぞとばかりに遊ぶ同級生

テスト休み3日前からココぞとばかりに勉強する僕

陰キャラ突入です。

高3では見事学年2位の成績をとって法政大学への進学が決まります。

すごくね? (゚∀゚)

法政大学に受かった種明かしその①

ちなみに種明かしをします。
日頃は高校で学年2位の成績だったと自慢しておりますが少しカラクリがございます。
8クラスあった我が校で理系と文系に3年生から分かれるのですが、理系は2クラスのみ。
僕は理系なので約70人程のでの2位でございます

学年2位と70人中2位って、印象ぜんぜん違うよねw

しかも周りは受験勉強にシフトをしていて学校の勉強をせずに予備校の勉強しかしません。
先生の言うことよりも予備校の講師の言うことを聞く、そんな状態です。

学校のテスト勉強は受験に意味がない、と言ってテスト対策をしないわけで、ライバルがものすごく少ないんです。
さらに空気の読めなさが幸いしてテストを返してもらう時は先生を捕まえて成績の交渉をします。

僕は「推薦入試を狙っている。この点数で9行く?」
先生も「微妙だな~」とか言うわけですね。

そんで答案を見直して、「ココはバツとは言い難いからせめて△ですよね?」 

となると先生も「しょうがないな~」といって1点とか2点をくれるわけです。

「よっしゃー!これで評価9行きますよね?」 なんて言うと「それは、わからない」としたり顔で教室を出ていくのですが、返ってきた通信簿は見事9が返ってきます。

高校の通知表は10段階ですが推薦入試の評点計算は5段階評価なので、8か9ではぜんぜん違うんですね。

なので成績が7の科目は落ちない程度に勉強。6とか8の科目に絞って勉強する。最後は先生と直接交渉!
高3の1学期の成績は全9教科中7つが9でした。つまり5段階評価に直すと9教科中7つが5なのです!!

この先生との成績交渉をみたクラスメイトが言いました。

「濱野さー。そんな事してみっともなくないのかよ」

僕はさらっと答えます。

「お前らに何と思われよーとも、オレは推薦のほうが大事なんだよ。」

先程申したとおり、ほとんどの生徒は予備校の勉強ばかりしかしないので学校の先生をオールスルーです。
僕みたいに授業中に質問したりテストで必死に交渉にくる生徒が、先生にとってはかわいいのです。

推薦の評価が高1年の3学期から高3の3学期までの平均評価で決まります。たしか、4.4だったのかな? 
もちろん高校3年間は”男子”でクラス1位の成績でした。

法政大学に受かった種明かしその②

もっと種明かししますね。

文系含めた全校生徒をみると評点4.8とか4.9がゴロゴロいたんです。
女子が半分以上のわが校はイケイケ女子から勉強できる女子までたくさんいるわけです。
理系の70人の8割はすべて男子。その中で自分は2位。
これを300人の文系女子も入れると、対した事ありません。

クラス1位の成績と言いましたが、文系、理系に分かれる前の女子をいれると、僕のランキングは11位。
女性が優秀ということを物語っています。

ライバルが少ない場所と、直接交渉して何とか点数をもぎ取ってくる。

今の自分の戦い方は、この頃から変わっていません。

さらにダークサイドの高校3年間はとても考える時間がありました。

「中学生と僕の性格は何も変わっていないのに、何でこんなに周りの反応は変わったんだろう」

もちろんセクハラ事件もありますが、、、

「!! そうか! 中学の僕はバスケに打ち込んでいた!今の自分は打ち込むものがない!打ち込んでる人間は輝いている!!」

と、ある種の悟りを開きます。

「空気を読んで友達と仲良くするよりも、打ち込んで輝く事が大事なんだ。(当時)かっこいいと言われてるヴィジュアル系バンドLUNA SEAの河村隆一も歌がなかったら、ナルシストでキモいだけだもんな。 クールでカッコイイと言われてるサッカーの中田英寿もサッカーがなかったら根暗だもんな。」

と、気が付きまして、中学時代のバスケのように

何かに打ち込む人生を生きよう!

と思うことになります。

この時は「生きる」というテーマが流行っていました。
もののけ姫のキャッチコピーもそうですし、漫画の寄生獣も「生きる」が大きくテーマになってました。

同じ学校の女子も「あたしは何のために生きてるんだろうって時々考える」とか話しているのを聞いて
「アホか。楽しむために生きてんだよ」と心の中で見下してたりもしてた、まさにダークサイドの住人です。

無事に大学入学からの~ 中退!

ここから推薦入試のための面接を受けます。
さらに法政大学の入学の理事長の言葉。

今でも忘れない良い言葉だったのを覚えています。

「大学時代は貴重だ。勉強も大事だけど、それ以上に必要な経験もある。たまには授業をサボってもいいから良い経験をしてください。」

そんなこんなで役者になりたくて大学は行かないとも言ったのですが、話を聞いてもらった全ての大人達が「大学には行ったほうがいい」というもので、素直に聞いて大学に行きました。
親にも「大学に4年間も行くつもりはない」と予め宣言して入学します。

ですが「たまにはサボってもいいから良い経験をしてください」という言葉をかけてくれる大学には期待しておりました。

僕にとって高校生活は最悪でしたが、親から見たら僕は自慢の高校生でした。
他が受験勉強に苦しんでいる中、早々に法政大学に入学ですし、予備校にも塾にも行ってないからね。

母親も団地内では得意気に息子自慢をしていました。

最悪だった大学生活

そんななか入学した大学生活ですが、結論を言いますと最悪でした。

数え上げればキリがないのですが、特に印象的だったのが情報通信という授業がありました。
初めの方の内容は「ココがパソコンの電源です。これがマウスです」という授業。
「知っとるわー」という事で、この授業をサボって僕は証券会社に言っていました。

僕は高校生から株をやっていました。 
ギャンブルは同級生も友達もパチンコとか競馬とかやり始める時代でした。今よりめっちゃゆるい時代です。制服でも全然パチンコOKw

僕も何かギャンブルをやろうと思いリサーチするとパチンコも競馬も勉強しないと勝てないらしい事がわかりました。
パチンコ台の特性、当たり目。
競馬なら競馬新聞を学校で読んでいる人もいました。

「なるほどな。パチンコは雑誌。競馬は競馬新聞。どうせ勉強するなら他でも役に立つ”株”がいいな。株なら日経新聞を読むわけだしな。」

という事で親に日経新聞に取ってもらう事を頼み、お年玉の貯金で株を買いました。
親も日経新聞を読んで株を買うならと、特に反対はしませんでした。 
ですが日経新聞の内容はちんぷんかんぷん。

日銀短観で株が上がったとか下がったとか。
日銀短観って何? と親に聞くと「辞書を調べろ」と広辞苑を貸してくれます。
日銀短観は広辞苑にも載っていませんでした。

そこで株の取引をしている証券会社の窓口まで新聞の切り抜きをもって質問に行ってました。
この窓口がね。15時までしか空いてないのです。
さっきの「PCの電源が~」とかいう情報通信の授業を受けてると証券会社が閉まってしまうのです。

それで授業をサボって証券会社に新聞の切り抜きをもって質問しておりました。

そしたら見事、情報通信の単位が落ちてました。 
先生になぜ単位が落ちたのかと聞くと、「授業日数が少ないから」だって、、、

「おおおーーい! PCの電源の入れ方の授業をサボって、証券会社に経済の勉強をしに行ってたら単位が落ちたやないかーい。聞いてた話と違うぞー」

と、まあ、ここで大学が無駄かを一年掛けて実感したわけです。
他にもなぜ大学が無駄かはいっぱい説明できますが、またの機会に。

大学が終わろうとする1年の終わりの頃。 
もうね。本当に大学には行きたくなかったんです。苦痛でした。

親が一人暮らしを許してくれないので家から大学までの通学は片道2時間半。 なぜか土曜日に体育の授業がひとつだけありました。
朝起きて2時間半かけて学校に行き。ダラダラとした体育の授業を受けて、2時間半掛けて家に帰る。家につくと15時。。。
体育の授業って地元のジムじゃダメなの?そっちの方が有意義じゃないです? って体育の先生に質問したら苦笑いされました。

この体育の授業にいくらかかってるのか計算しました。 
年間の授業料から平均コマ数で割ると、ざっと大学の授業は1コマ3000円。 たけー!!!

いまならパーソナルトレーナー雇えるわ!!

ついに決断。大学を辞めることに

もう何のために大学に行くのか理由がわからない。つまらない。季節に一回は風邪を引いてました。
ストレスで免疫が落ちてたんでしょうね。

学校が八王子の方の相原という駅にありまして、”藤沢”から小田急線で”町田”そこから横浜線に乗り換えて”相原”に向かいます。
幾度となく町田で降りてお茶して学校に行かずそのまま帰った事があります。 
なんなら藤沢から”長後”でホーム迎えの帰りの藤沢行きの電車のそのまま乗り換え。

「あ、もう帰ろ」って学校に付く前に帰りました。

この頃、5歳下の弟の世代から導入された「ゆとり教育」が話題になってました。
役者になりたかった僕は、10代が書く教育の本は有名になるんじゃないか、と考え、高校生からコツコツと親のパソコンで本を書いていました。

「本にならなくても、本になるだけ文章をパソコンで書けばタイピングがうまくなる。本を書くことは僕にとって何一つ損がない行為。うまくいけば夢の役者に成れる!」
って思えると、大学をサボってコツコツとパソコンで執筆しておりました。

そんな大学の1年の終わり「留年」の通知が来ます。

母親がその通知を手に取り、ワナワナしながら僕に言いました。

「アンタ、これどういう事?」

僕は「ああ、んじゃ、辞めるわ。いい機会だし」 
母親は「なんでちゃんと学校に行かないの!」と言います、が、

僕は「初めから4年いくつもりないって言ったじゃん!それでも良いから行けって言ったのはお母さんでしょ? 別に2年や3年で辞めるなら今やめても同じじゃん。お金ももったいないし。」

入学前から「大学に4年も行くつもりはない」という”重要事項説明”をしていた僕は留年にぜーんぜん反省する事もなく言いました。

この時の母親の姿は今でも忘れません。 

洗濯物を畳みながら、母の背は泣いているのがわかります。

「アンタはどうして普通に育ってくれないの。」

こうして大学を中退し、僕はニートになります。
まだニートって言葉がない頃ですね。

次回はニートから創業へ をお送りしたいと思います。

※ほんとはめっちゃおもろい社長の中高生時代の写真があったのですが、行方不明に・・・申し訳ない・・・

代わりに社長の劇団時代のPVを載せます。

一瞬でしたが、ブラック企業社長の若かりしころ、見れましたでしょうか?
もう・・・20年近く前の映像になるのかな・・・?

社長にもこんな時代があったんだと不思議な気分な緒方でした。


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