ブラック企業社長の浜野物語~第三章、ニートから助監督、そして夢だった役者へ~

はひふへほ〜 バイキンマンを崇拝するブラック企業社長の浜野です。

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大学を辞めた僕は19歳で無職。今で言うニートです。
その頃はニートって言葉もなくて、プー太郎って言われてました。

団地内でお母さんの自慢の息子だった僕は一気に恥さらしへと変化いたします。

そんな罪悪感的なものも少しはあり、勉強はしなくてはいけないなと日々思っていました。

でもね。なーんもする事がないんですよ。
毎日が夏休み。とりあえずアルバイトを始めます。
この時に2つ決めた事がありました。

1.役者になりたくて大学を辞めたんだから、堂々と「役者になりたい」って言う。
2.役者になるためにアルバイトは「人前に出るもの」を選ぶ

この2点です。3つくらいバイトを掛け持ちしてました。

ファミレスのバイト。
塾の講師。
クレジットカードの勧誘。

この頃の僕の生活は最悪でしたね。
バイトをする。
家にいる時はダラダラとゲームをしてる。危機感を感じて日記を書くようにしました。
自分を戒めるために、10点満点の自己採点する。

こんな感じです。

今日は本を書くはずだった本が進まず、ずーっとパワプロをしてしまった。1点
今日もパワプロをずーっとしてた。数行しか本が進まなかった。 2点
勧誘に来た宗教の人たちと玄関で4時間話す。4点。
今日も勧誘に来た宗教の人たちと玄関で4時間くらい話す。5点
もう、宗教の人たちは来なくなった。パワプロをやっていた日だった。1点

大学にいた頃から書いてた本がまだ完成していなく、全然進んでないんですね。
ただ危機感も少しだけあり、それが人生を大きく変える出会いに繋がります。

人生を大きく変えた出会い

たまにオーディション雑誌を買って応募するも書類で落ちる日々。
ノルマ5万円とかの募集は怖くて応募できませんでした。
「なんで役者として働くのに5万円も払わないと行けないんだ。」そんな気持ちがありました。
オーディション雑誌は毎月買っていて、今思えば「やってる感」のための自己満足だけだったのですが、本屋に立ち寄った時の事です。

アンケートに答えた全員に図書カードを500円を配るキャンペーンがありまして、お金に飢えていた僕はすぐさまアンケートに答えました。

実はこれ、英会話スクールの顧客リスト集めの施策だったんですね。
後日、僕の携帯に英会話スクールから営業の電話があります。

大学を辞めてアルバイトしかしてなかった僕は”英語くらいは勉強しないといけない”という気持ちはあったので、この英会話スクールの営業のお姉さんと落ち合うのです。

駅前のファミレスで話をします。
簡単な名前や住所や年齢はアンケート時に答えております。

お姉さん「こんにちわ。19歳って事は大学生?」

僕「いえ、大学を辞めたので、今は何もしてません。」

お姉さん「そうなんだ、なんで辞めたの?」

僕「役者になりたかったんです。でも、何をしていいかわからず、英語は必要かなと思ってお話を聞きに来ました。」

お姉さん「ちょうど知り合いにADのバイト探してる人いたんだよ。紹介してあげようか!

僕「ぜひ、お願いします!」

人生が変わった瞬間です。
英会話スクールに入会しなかったのに、ちゃっかりADのバイトは紹介してもらいました。

2ヶ月間ガッツリ拘束される現場だったので、現状アルバイトでお世話になってる所に2ヶ月シフトを休ませてくれと説明に行きました。

一つはアルバイトを始めて1ヶ月くらいのところで、いきなり2ヶ月も空くのは困るから辞めてもらうことになるという事でした。部活の先輩の紹介で入ったところでしたが、「全然気にしなくていいし、ADのアルバイトはいい経験だから行った方がいいと思うよ」とバイト長の大学生の方は言ってくれました。
めっちゃいい人でした。

他のアルバイト先もOKをもらい。こうして僕は晴れてADのアルバイトとして、夢への役者への道へと一歩を進めたのでした。

夢への第一歩。プロの現場。

19歳の僕にも人生で学んだ事がありました。
高校時代も含めるとアルバイトも複数経験しております。バイトの先輩方はほとんど大学生。

そう。バイトの中の処世術というものを身につけていました。

中学生のバスケ部で学んだゴリゴリの体育会系の敬語やマナーよりも、アルバイトの先輩とは友達的な接したほうが良い。名付けて。

パイセンとは軽いノリの方が一気に仲良くなれるの術

そんな処世術を引っさげてADのアルバイト現場に乗り込みます。

僕「あ!どうも浜野っす! これからよろしくおねがいしやっす!」

先輩「はあぁ?? 何だ?お前? 友達じゃねーんだぞ?」

僕「!!!」 「え? いや、すみません。ADのアルバイトと聞いてきたもので」

先輩「はあ?ADのアルバイト?? 助監督だよ。舐めんな。プロとしてやるんだよ。アルバイトの気持ちでやるんじゃねーぞ!」

僕には何を言ってるのかサッパリわかりませんでした。
でも、中学校の部活で学んだ事が正しかった事だけはすぐに理解できました。

※バラエティ等の番組は ディレクターとAD・ドラマや映画は監督・助監督と呼ばれます。

もうね。激闘の日々なんすよ。

早朝の4時起きとか当たり前。夜中の12時に会議室で翌日の段取りミーティング。

そのミーティングの最中に寝落ちしたのを覚えています。
2時間ドラマの助監督班だったのですが、上から順にチーフ(鴨川さん)セカンド(宮野さん)サード(佐藤)といます。僕は見習い。

宮野「オマエ会議中に寝るなんてどういう神経してんだよ」
僕「はい!すみません。」寝落ちる
宮野「謝ってるソバから寝る奴がいるかよ」
鴨川「初めてで疲れたんだよ。ほっといてやれよ」
宮野「いや、舐めてますよ」
僕「す、すみませんzzz」
宮野「こいつ、なんだよ」
鴨川「もういいから、寝かしておいてやれ」

これが初日です。シーン1 カット2 ! カチン! というカチンコを鳴らしたり、香盤表をみて、現場をあくせく動いたり、言葉にすると働いているようですが、先輩の足を引っ張ってるだけでした。

移動のロケバスにのるとカクンと寝る。
サードの佐藤さんには、「バカ!1番下っ端が寝ちゃダメだよ。 下っ端は最後にバスに乗って、一番最初に降りて現場に行くんだ!」って教えてもらいました。
みんなが休んでるロケバスの中で僕の携帯の着信音がなりまくります。
当初オリジナルで作ったドラクエの着信音はバイト仲間ではすべり知らずでしたが、この日ほど視線が痛かった日はなかったです。

もうね。毎日毎日、面白いくらいに体調が悪くなるんです。ちょうど9月の季節の変わり目。
成城学園にある国際放映というスタジオの会議室で毛布一枚引いて寝泊まりしてました。休みは2ヶ月の間に1日だけ。

そんな中、咳き込んでいた僕は日に日に咳が悪くなるんす。初日のロケバスで最悪のイメージを持たれた僕は咳き込んでいるとメイクさんから「伝染さないでよね!」って怒られる始末。「こえー 心配してくれないんだ」って震えてました。
そんな僕を佐藤さんはメイクさんに「本当にすみません。」ってフォローしてくれてました。

とにかく返事は大きくしろと言われておりまして、何を言われても「ハイ!」と元気に答えておりました。
色々説明されても、よくわからず納得いくまで丁寧に丁寧に教えてくれて、叱ってくれました。

朝の6時には渋谷だか新宿で待ち合わせ。夜の12時くらいに会議室で翌日の段取り確認。
役者になるためには、って必死で動いて先輩の言うことにハイ!って答えてきました。

セカンドの宮野さんから言われた事があります。
「お前はオレの出会った中でワースト3だ。ベスト1に悪い奴は返事もしないやる気もない仕事もできないやつだった。下から2番目に悪いやつは、まあ、やる気は少しあったが元気がなかったし、仕事もできなかった。 下から3番目はお前だ。元気はある。やる気もあるように見える。なのに仕事が全然できないから不思議だ」

僕「はい!ありがとうございます!」

宮野「何が、ありがとうなのか意味がわからねいけどな。ま、がんばれや」

こんな感じでした。

こんなできない僕も元気を出して毎日を頑張ってたら、みんなに可愛がってもらえるようになりました。怖かったメイクさんも優しくしてくれましたし、夕飯を食べる時も僕の役者になりたい夢を聞いてくれました。
サードの佐藤さんは一流の役者さんの演技の時は
「お前、こっちきてよく見ろ。」とか、役者さんの所作を教えてくれました。

今は亡くたってしまいましたが、その時の撮影現場の役者さんが宇津井健さんだったんです。
宇津井さんとも少しお話しできましたし、宇津井さんはスタッフさんからも親しまれてました。スッタフの方からは色々教えてもらいました。

「あんた!売れてもちゃんとしないとダメだよ。●●はツーンとしてダメだね。すぐ売れなくなるよ!」
とかね。本当にね。消えていっちゃいましたね。●●さんは。

この助監督の2ヶ月は本当に僕の人生の土台となりました。

クソでセコくてズルい僕を、怒るのは本当にしんどくてどうでもいいのに、2ヶ月だけの付き合いだから放っておけいてもよいのに、「オレのプロとしての責任だ、お前の面倒はもうみないし見たくないけど2ヶ月間はしっかり教えたるから」と最後まで僕が納得のいくように説明してくれて叱ってくれました。
ホントにね。もう目からウロコどころか魚までもが落ちる日々でした。

怒涛の現場を経て・・・

2ヶ月の助監督が終わった時に僕の中で色々変わりました

アルバイトも「疲れるのが悪」「どうやって手を抜こうか」ばかり考えてやってきたのですが、
助監督の体験後からは「疲れても周りに喜ばれた方が良い」と思えるようになり、働いてる時間内にどうやって最高の結果を出せるかを考えるようになりました。

ファミレスの店長からもシフトがきつかったけど、お前を助監督に行かせてよかったと褒めてもらいました。

僕が社員に接するのもこの時の体験の恩返しをしたくて教えたり叱ったりするわけです。

本当に僕の人生の中で大切な経験で、この時の助監督の上司たちにはお会いできていなくお礼を言いたいのですが、連絡先もわからなく。今に至ります。

色々ご飯をごってもらったり、感謝してる事を上司先輩方は口を揃えていってくれました。

「俺たちのしてる事に感謝してるなら、お前の後輩に同じことをしてやってくれ」

こうして、僕は恩返しのつもりで、後輩や社員にご飯を奢ったり大切な事は本気で叱ったり教えたりするのですが、全然うまく行かないなってのは、まだ別の話でw

助監督の仕事が終わってから、チーフ助監督の鴨川さんからお声がかかるようになりました。
「おまえ、確か役者になりたいって言ってたよね? オレの演出してる舞台に人がいないんだよ。よかったら出ないか?一度遊びに来いよ」

こうして、僕は憧れの役者になる事ができました。

1999年10月に助監督が終わってすぐの11月です。

勧誘に来た宗教のおばちゃんと4時間も話し込んでた日々から劇的に毎日が変わりました。
やりたい事を言葉にするだけで、こんなにも環境が変わったのです。

今でも僕はやりたい事を言うようにしてます。コツコツと叶うんですよね。これ、本当です。
僕の人生は大きく舵を切りましたが、、、、今度はね。「お金」の問題が出てくるんですよね。

役者にまつわる「鬼ノルマ」と言われる ものです。

続く。

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