初めまして!
ブラック企業で経営戦略室の部長をしている、鈴木です!
2022年の入社当時に作成したこちらの記事にセブンコードに入社してからの内容も追加しました!
長くなってしまいましたが、東京に上京してきてからの全てを書いているのでぜひ楽しんでいただけたら幸いです!
自己紹介

2000年5月生まれ 静岡出身
2022年に入社した当時は、「セブンコードのなかでダントツで年少」という看板でやってましたが、今となってはちょうど真ん中の年齢になってしまいました、、つらい。
そんな鈴木の過去と今を見ていきましょう。
1高校サッカー時代
鈴木はサッカー小僧でした!
3歳から18歳までサッカー一筋で頑張っており、高校時代は静岡で当時サッカー強豪校の飛龍高校にいました。
部員100人くらいいる中で、自分の代では副キャプテンとして頑張りました
静岡県の強豪校は静岡学園を倒すために対策をしていると言っても過言ではありません。
僕の副キャプテン最後の決戦、飛龍高校 VS 静岡学園
前半最高のチャンスでしっかり外した鈴木
これが悪い流れを引き起こし、3年間で1番ボロボロにやられました。(結果0-3)
副キャプテンでチームを引っ張って頑張ったのに、やっちまった感であまり涙が出ませんでした。
2人生転落

高校を卒業し、特に夢もなかったので安定を目指し公務員(警察官)を目指し東京の大学に入学するため上京。
華やかな東京生活に希望を持っていた18歳に魔の手が押し寄せてきました。
ネットワークビジネス
大学に入学して1ヶ月がたった頃サッカーもやめて特に頑張るものもなく打ち込めるものを探してました。
そんな時、3歳から中学まで一緒のチームでサッカーをしてきた幼馴染から4年ぶりぐらいにLINEが来ました。
「中学の先輩がご飯奢ってくれるからいこ!」
と突然仲良くもない先輩と3人でご飯にいくことに。
待ち合わせに行ってみると素行が悪かった先輩がバリバリにブランド物をまとっていました。

「めっちゃ稼げる話教えてあげる」と仮想通貨の話を始めた先輩。
30分後には「稼げそう!先輩すげえ!」
とその場で7万円を払い成功するためのビジネスを始めました。
ここからぼくはビジネスを頑張るために先輩の言うことを大真面目に信じてビジネス活動を行いました。
成功のコツは「ノリで行け!」との事だったので、地元の友だち50人くらいに
「俺と一緒に金持ちになろうぜ」(ガチでこのまま)
と一生懸命に、成功のための一歩を踏み出していました。
しかし、声をかけた地元の友だちのインスタのストーリーで「鈴木が詐欺師になっている」を見かけて、間違いに気付き、この時、初めてこれが「ネットワークビジネス」という事に気付きました。
すぐにやめたかったのですが、向こう半年続けました。
理由としては、1ヶ月目で10人の友達を入れてしまってるので、最後の1人がやめるまで自分も付き合っていました。
入会してくれたメンバーの中でも今でも飲みに行ってくれる友達がほとんどですが、連絡が取れなくなってしまった友達も。この10人が何か困っていたら絶対に助けなればいけない。
(この件で人間関係は信頼で成り立っていることを心の底から理解し、お金では解決が絶対にできないことを学びました。)
警察官を目指していたのに真反対の道に進んでいる現状に、ただただ、とにかく病みました。
情報商材編
ネットワークの勧誘に疲れましたが、気が付いたら借金が30万円になってたので、返済のために一人でお金を稼ぐ方法を探している最中に、今度こそ成功していると思う社長と出会いました。
その社長はブランド物も身に着けておらず、紳士的な方で本当に成功している人はシンプルなんだなと反省しました。
この社長からネットでの稼ぎ方を教えてあげるから、一度事務所へ来な!と言われ、すぐに飛んでいきました。
社長の事務所で、「せどり」について教えてくれて、更に成功するためのシミュレーションも1時間ほど懇切丁寧に説明してくれて、熱い思いで一杯になりました。
説明後、社長からせどりコンサルを受けるための100万円の契約書が出てきて
「100万円以上稼がせてあげるから安心して」
と言われ、契約書の内容は正直理解できませんでしたが、質問するのも怖かったので考えるのをやめました。
その場で契約書に指印をして帰宅。
ただ相談する友達はいないので、もうやるしかないと腹を決めコンサルを受けながら物販を始めました。
高額な契約でしたが、丁寧にサポートいただき売上3万円をすぐに達成しました。
しかし、不思議なことにコンサルは1ヶ月でなくなり、チャット相談だけになりました。
さらに月々の返済が5万円なので、減らしてほしい事を相談したら
「100万円を消費者金融で借りたら月々の支払額が減って楽になるよ」
この一言が僕を恐怖させ、冷静にさせました。
このビジネスはやばいのではないか。
結果、3ヶ月でやめることになり
ネットワークビジネスとせどりビジネスの投資?に失敗し130万円の借金が出来ました。
人生の成功者になるために始めたのに、立派な落伍者になっていました。
田舎から出てきた純粋な20才の僕は、この頃には「全員し〇ばいいのに」と思うくらい心が荒みました。

毎月の支払いは7万円
学校に行って普通にバイトをしてたら月に稼げるのは7万円程度です。
当時20歳の僕は本気で死にたくなりました。
稼いでも全部返済に回り、足りない時は追加で借金をして借金の返済をしました。
生きているのも辛く誰にも相談できなくて、ただただ地獄でした。
漫画に出てくる負け組に自分がなってしまったことを実感し無力感で何もできませんでした。
そんな僕が現状打破をできたのは前職との出会いでした。
3復活のすずき

前職に出会った経緯はややこしいので割愛ですが、
僕と1つ年齢が上の2人が共同代表で支社展開として東京に上京してきたばかりでした。
僕が入社した時、事務所として使っていたのはコワーキングスペース。
本当にこれ大丈夫な会社?笑 そんな感覚でした。
業務委託として入社し、学校に行きながら白い犬の携帯の販売を行っていました。完全歩合の営業だったので自分が頑張れば頑張るほど給料になるので
ここから復活を果たしました。
1ヶ月目から「15万、20万、50万」と半年で給料が右肩上がりで伸びて行き役職も
営業統括まで上り詰めました。
正直「俺に勝てる同世代いないっしょ」って本気で思ってましたし、給与が多かったので週1でメンズエステ行ってました笑
ただ借金の返済もあるので大体月に20万円ほどは返済に回していました。
借金に関してはちょうど1年目ぐらいで借金を全部返すことができました。
このタイミングで、この道で戦っていこうと思い、大学をやめました。
もちろん親には事後報告をして、とても怒られたのですが自殺を考えるほど辛かった時期から復活できた自信で、俺なら絶対行ける!とライバルは全員蹴散らすような勢いで鼻はノビノビアゲアゲで息巻いてたのを今でも覚えてます。

こんな感じでイケイケポーズをしちゃうぐらいイケイケでした。
4人生ハードモード 病み期突入
大学をやめた2ヶ月後に上位店がBtoC(個人向け)での携帯販売はリスクが大きいとして、撤退を発表しました。
代理店の僕らは今まで上位店のおかげでショップ以外で個人が携帯販売をできていましたので、その影響で仕事がなくなりました。
この時点で「あ、人生終わった」 2ヶ月で儚くも僕の鼻は散っていきました。
ここから人生ハードモードです。
20歳で月50万弱稼いでいたので鼻は伸び切っていたところから折れるどころかめり込んできました。
BtoCがダメになったので法人営業に移行しました。
法人営業では楽天カーサやQR決済、法人携帯の営業から始まりました。
「正直こんな飽和してる商材なんて、売れんし売ってるやつキチ◯イやろ」って
この頃からできない理由を探し始めてしまったのが終わりの始まりだったのかもしれません。
もちろん自社にテレアポ部隊もいませんし、そもそも契約しても入金が遅すぎて給与が当分入ってこないのでジリ貧状態で約半年ほど戦いました。
基本的に休みの日と言うものはないので朝から晩まで働いて給与はマイナスなんてことはよくあって社内の雰囲気も最悪でした。
この時の給与がこちら

ちなみにここから以前販売していた携帯の戻入が4万ぐらいくるので
マイナス2万円近くです。
※戻入とは契約したお客様が短期解約または滞納をした際に白い犬の会社から負担金の請求が来ることです。
ちなみに戻入は報酬額より高くマージン抜いてる会社側(上位店)は一歳払ってくれないので地獄です。
1ヶ月間、休みなく朝9時から夜の11時まで働いてこれですよ
死にたくなるを通り越して殺したくなります。
この時の負のオーラは最強でした。
僕の近くを通ったら具合悪くなるぐらいにはオーラ出してました。
ちなみに、この給与がマイナスの状況はここから2ヶ月続きます。
ストレスが溜まりすぎて商談中に肺に穴が開いて息ができなくなったけど
救急車呼んでお金かかったら嫌なので病院まで歩いていき緊急入院するなど
21歳で肺を壊して一人前の営業マンになったわけです。笑

わかりづらいと思いますが、CTの方を見たら分かるとおり右の肺と比べて左の肺が潰れてます笑
結局4日ほど入院し、入院費6万円を親に頭を下げて助けてもらいました。
こんな好き勝手に生きているのに助けてくれる両親には感謝しきれないです。
520万円の喜び 雑魚に成り下がり

人生ハードモード期に会社では僕含めた5人の幹部のうち3人がやめました。
幹部がやめて崩れかけた時、給与が固定給になりました。
正直おせーよと思いながら学んだのは、
自分が辛い時は会社も辛いということ
ただ立ち上げの会社の船に乗るということは
辛い時を耐えて会社に尽くし、大きくなった後に恩恵を受けるか
使い回されて恩恵を受ける前に朽ちるかのどちらかしかないと思いました。
力あるものは独立し、力無いものは残る。
ただ自分は学歴もないし経歴も業務委託なので転職はおろか、起業する実力もまだ足りないと思っていたので次の職があるわけでもなく、給与20万もらえて正直ホッとしていました。
そこから自分の中の衰退が始まりました。
給与が上がらないことがわかった途端、全力で頑張るよりかはどうやってサボるかを考えるようになってしまいました。
2回目の地獄に足を突っ込んだ感覚になりました。
6変化の時

サボりながら仕事をやっていて思ったのは
本当にこの状況が続いたら一生仕事を苦痛に感じながら退屈な時間を過ごすことになると思いました。
流石に僕も「これはダルすぎる. 後60年近く仕事が嫌いなままサボって仕事をするのは退屈すぎて耐えられない」
本気で頑張ったことがあるからこそ思ってしまったのです。
なので、今日から変えていこうということで、普段は仕事では一切サボらず積極的に仕事する事と会社に捨てられても生きていける力をつけたいと思ったので今までやっていたことと一切関係ないブログを立ち上げることにしました。
ブログSEO
自分でサイトを1から作るのも初めてでしたし、こんな簡単にサイトを作ってブログができるなんて思っていなかったので思いのほか熱中しました。
1ヶ月のPV数が1万を超えたあたりから本業より副業のことを考えることが増えました。
月の収益が右肩上がりになっていく時に前の成り上がっていく感覚を取り戻していくように感じました。
この業界で力をつけたいと思い、転職活動を始めました。
正直、受かるところがないと思っていたので一通りやってダメだったらまた元の生活に戻そうと思ってました。
7転職活動 そしてセブンコードの出会い

自社でツイッターからリクルートをしていたので、ツイッターで転職活動していることをアピールしたら、どっかから声がかかるんじゃないかと思いツイートしてました。
そんな中 ハマノーンこと浜野社長にTwitterで声をかけてもらいWEBマーケティングと営業をやっているということで入社することに
見た目はアレだけど経営歴長いし、売上をブログで公開しちゃってるし
1番は見ていてとても楽しそうだなと。
気づいたらショッカーになってました。

第2章 セブンコード編
第2章を書いているのが2026年1月です。
入社してはや3年と6ヶ月経ちました!
セブンコードに入社してからの流れを赤裸々に語りたいと思います。
1業務内容の推移
- バズるもん作るもん 〜CMソング作っちゃうもん〜 AP担当
- 2022年7月(入社)〜2024年2月
入社して2年ほどは番組のアシスタントプロデューサーとして、企業様への営業と出演企業様の台本作成を中心に行なっていました。
副業では、HP製作を習得🔥

- ITパスポート参考書 製作担当
- 2024年3月〜2024年7月
未経験からエンジニアになるために、勉強込みでITパスポートの勉強をしながら、

- 大手銀行アプリ開発 Javaエンジニア
- 2024年8月〜2024年10月

- 新規事業部立ち上げ!(有料職業紹介・派遣・求人代行)
- 2024年11月〜




